連載 No.27 2016年04月10日掲載

 

自分で発信し、求める人に届ける


新生活をはじめる人が多いこの時期になると、思い出すことがある。

写真学科の4年生になったころ、高知の父親から卒業に備え就職の準備を進めるようにという手紙が届いた。

高知市内の写真館、あるいは有名カメラ店を紹介してくれる人がいるので、

夏休みに戻ったときに一度会って話を聞いてみてはどうか、と言う内容が書かれていた。



世話好きな人の多い高知ならではの温かみを感じたが、

写真を学んでいるなら、写真館かカメラ店に就職、という提案は自分には受け入れがたかった。

話しを持ち掛けてくれた祖父や父との「写真」というものに対する考え方の差や、

東京と地方との環境の違いが、重くのしかかってくるのを感じた春だった。



美術系の大学では、4年終了時には卒業論文の代わりに卒業制作を提出する学生が多い。

その作品を就職活動の売り込みツールとして利用する人もいれば、

評価されてアーティストとしてデビューする人もいる。



私の場合も、卒業制作を国内外での作家活動の足掛かりにしたいと考えていた。

同じような考えの人は多かったが、

卒業後作家として生きていくには、経済力や資金力があるかないかで大きな隔たりがある。

私の場合は、カメラマンのアシスタントとして働きながら制作活動を続けることになる。



そんな“2足のわらじ”生活は楽ではなかったが、

スタジオを構えて独立するために、さまざまなカメラマンの手伝いをしたことがとても役立った。

就職の世話をしてくれた親には申し訳ないが、

紹介されて就職するという選択肢が自分にはなかったのだ。



当時はあまり役に立たなかった卒業制作の作品だが、

その後海外のギャラリーに売り込む時や、最近の都内の展覧会では評判がよい。

ある意味、当時売れなかったことが、企業やメディアに頼るのではなく、

自分自身で発信し、求める誰かに届けることの大切さをを教えてくれたのかもしれない。



2000年頃、Web サイトを見よう見真似で作り始めた。

作品を少しでも多くの人に見てもらう為だった。

今回の作品は当時、ホームページからメールで問い合わせがあって、初めて売れた作品だ。

関西の方だったが、東京まで新幹線で引き取りに来てくれた。



崖のように見える壁面はコンクリートの古い倉庫で、小さな小屋が取り壊され、その痕跡だけが残っている。

岩手県宮古で01年に撮影。

この年、太平洋側の宮古では珍しく雪が多かった。

その後、この倉庫は取り壊されたと聞いた。

さらにこの辺りは震災の津波で甚大な被害を受け、景観がまったく変わってしまった。